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2006年7月14日 (金)

とり憑かれる…ということ

いつごろからだろう。

記憶に無い。

おそらく、学生時代から。

となると、もう20年以上前。

ずっと好きな作家がいる。

好きというより、魂を奪われた、という表現のほうがふさわしいかもしれない。

文学者ではない。

不思議な人形作家である。

人形を見て、心の奥底の闇をかきまわされ。文章を読んで、背筋がぞっとして、いつのまにか、暗黒の世界に片足を引き込まれ。

天才とはおそらく、このような人種をいうのだろう。

Cimg0409 その人の名は、 『天野可淡』 

1953年東京都世田谷生まれの女性。1990年11月1日交通事故により永眠。享年37歳。

この37年の間に創作人形展のグランプリ受賞などの実績を残した球体関節人形作家。

彼女のことを 「天上の存在」 と呼ぶ人もいる。

まさしく、その通りだと思う。

彼女の文章の一部を引用してみたい。タイトルは「神経に棲む者たちへ」(天野可淡)。

この文章を何度読み返したことだろうか。それくらい、とり憑かれてしまった存在。

「続きを読む」に掲載してみましょう・・・彼女の作品といっしょに。

Katan4 ・・・・・あるいはもしあなたが風にあこがれて

地下から這い出るセミならば、

最後の土をかき分けた瞬間、

地上の目もくらむ光と同時に

足もとに深く広がるやわらかな闇を

あらためて認識するでしょう。

人々はともすると光と闇のとろけあった

乳白色の混沌の中にさまよいがちです。

私もその中の一人だから常にそれを恐れ、

手を動かさずにはいられないのです。

Katan7 ・・・・・・・・・・・・・・・・・

子供の頃、真夜中のベッドの中で、

そこにある自分の肉体と、

それをあらためて意識している

目に見えぬ別の自分との接点がさがせなくて

悲鳴をあげたことが有ります。

・・・・・・・・・・

Katan3 もし、精神というものをのぞける顕微鏡が有るとしたら、

やはり皮膚や花びらのそれと同じように

神に存在を約束されたものとして

映し出されるのでしょうか。

それが知りたくて、

それを確かめたくて私は私の精神に棲むものを

作らざるを得ないのです。

時々私の作った人形を見て、

なぜかなつかしいという人がいます。

きっとその人も私と同じように、

いつか遠い日に悲鳴をあげた記憶があるのでしょうか。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

Katan1 アーティストとは成長できなかった人、

と辞書を書きかえるべきかもしれません。

しかし、成長できなかった人の特権として、

私は作品の中で自意識を分解し、

新たな原子でそれを再構成することができます。

〈彼〉が一日目に光を闇を作り、

二日目に天と地を作り、

最後に私たちを作ったように、

アーティストも自らの光と闇、

自らの天と地、

そして最後に自らの神経をときめかす者たちを

作ることができるのです。

Cimg0410 私は願わずにはいられません。

私の作り出す者たちが、

あのかつての闇を切り裂いた悲鳴を

なだめる者であることを。

目に見える神経と目に見えない神経の狭間を

うめる者であることを。

そして、

あなたの神経から響く微分音を、

私が正確にとらえ受けとめることができることを。

人形はいいます。

Cimg0412 “私の瞳は銀色の湖

しばし泳がせてみませんか

あなたの退屈な時間を

そして残るは

悪魔の頃のあなたのぬけがら”

・・・・・・最後の1行は衝撃的でした。

たしかに、自分は、悪魔だったから・・・

たしかに、自分はそうだったから・・・

そして、もしかしたら、今も・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・

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